『くりかえしみるゆめ』のレポート・感想
皆さまこんばんは。さとやんです。
そんなこんなで、このブログもついに3記事めとなりました。
『バクマン。』では何かと「3話」が重要なものとして持ち出されていた記憶がありますが、このブログにおいても例外ではありません。
・・・いや、別に週刊連載というわけではないんですが。
今回はタイトルにもある通り、ついにあの『くりかえしみるゆめ』について、レポートと感想をしっかり書いていきたいと思います。
なお、本記事については1つ、皆様にお願いがございまして。
実は私、
ものすっごい怖がりです。
ええそれはもう怖がりです。どのくらいかというと、ホラー系の謎解きイベントに行って「もう失敗でいいから60分早く経ってほしい!!」と謎を半ば放置してしまうレベルです。
※このときは仲のいい大人の方から連れていかれた感じです。もう二度とホラー系の謎解きには行きたくない…
というわけで、必死に見ていく中で、たぶんどこかに見逃した点であったり、考えが及ばない点とかあると思います。(ホラーや心霊、アートに詳しくない部分もあり。)
よかったらコメントの部分で「私はこう思ったなー」とか、「ここ見た?」とかを教えていただけるととても嬉しいです。
皆さんの視点でみた『くりかえしみるゆめ』が知りたいな。
ではでは、資生堂の地下の非日常へ潜っていきましょうか。
◇レポート
私が階段を下った先から、「Wao!」といういかにも西洋ドラマな声がしたかと思うと、楽しそうな外国の方が3名、入口の扉から出てきました。
なんでも「すごくびっくりしたわ!」とのこと。
「アートでびっくり?どういうことなんだろう?」と思いながら、まずはギャラリーの方に軽く挨拶をしました。
すると、この個展ではドアノブ以外に触ってはいけないというちょっと他では聞かない注意事項が。
私「あ、入る前に壁の文だけ読んでいってもいいでしょうか?」
ギャラリーの方「今でも後でも大丈夫ですよ。最後はこの場所に戻ってくるので。」
笑顔のギャラリーの方からなんとなく不穏な気配を察知しつつ、私はドアノブをひねり、作品の中に1人歩みを進めます。
1つ目の部屋に入った瞬間、「あ、これ私が好きなやつだ!」と瞬時に気付きました。
薄暗く落ち着いた空間に、そこにあるべくしてあるような本や羽ペン、ティーカップ。部屋の隅にはレトロな黒電話が置いてあり、初めて来たはずの場所なのにどこか懐かしいような感じがしました。
この部屋までは私のテンションはかなり高く、「きっと次の部屋からも、こんな素敵な雰囲気の場所が続くんだろうな!楽しみ!」といった具合でした。
そう、この部屋までは。
2つ目の部屋でも、キレイに整った食器と優しく輝く明かりを見て、「よしよし」と思ったところで…
ドンドンドンドン!!
という壁や窓をたたくような音!
「ひっ!」と言って窓の方を見ますが、当然そこには人影などなく…。
さらに、先ほどまで安心の象徴であったはずの明かりが明滅し、部屋は優しい空間からたちまち「何かがおかしい場所」へ変貌しました。
私は何が起こったのかわからないながら、部屋を見回すと
狂った人間を描いたような絵画が…
一周目はこの時点で、冷静な思考ではなくなりました。
そこ、ビビりって言わない。
3つ目の部屋でさらにこころの動きは大きくなっていきます。
かけられている服はどれも擦り切れたりしていて、まるで乱雑に荒らされたような印象を受けます。
さらに服の間に隠すように置かれた鏡に自分の足が映った瞬間、また「なにかがいる!」と怖くなり、足早に明るい方へ向かいました。
その先に希望などありません。
乱れた布に不気味な本、そして、まるで人が乗った時に壊れたようなはしご。
脳裏には、「上に登ろうとした際にはしごが壊れ、頭を打ってしまった子供」というところまでを想像してしまい、何に対してかはわかりませんが「許してくれ」とまで思ってしまいます。
すると直後にまた、明かりの明滅が始まります。
まるで本当に、
なにかが自分を追ってきた。
とでもいうように。
その時の私は、すでにもうドアを開けて先に進むことしかできなくなっていました。
きっとその先には、この狂った世界の終わりがあるから。
その先は、最初の部屋と同じに見えて、まったく違う場所でした。
ティーカップの中は砂か埃であふれかえり、透明なブックキーパーはなくなり、なにより先ほどまで安らぎの源であったランプは不安定な明滅を繰り返す。
そして私は、ふとあることに気付いてしまいます。
見えにくい室内の中、はっきりと読めたそれは、「The Fall of the House of Usher」。
日本語だとたしか、エドガー・アラン・ポー作「アッシャー家の崩壊」。
大昔に読んだ記憶がありました。狂った男と、生きながら埋葬された妹の話。
途中の流れは忘れていましたが、最後が強烈だったのでその部分は覚えていました。
たしか…
血に汚れた妹が、埋葬者のもとへ戻ってくる。
これに気付いてしまった瞬間、背筋がそれまでとは比べ物にならないレベルでぞっとしました。
ではあの壁をたたく音は。明かりの明滅は。乱れた衣服は。
早く、早くこの場所から抜け出さなければ。
実は一周目、ここより先のことはあまり覚えていません。
この下に載せる写真は、2周目に撮ったものになります。
皆さんは、本当に?と思われるかもしれません。
初見かつ1人ですべての部屋を回ることができた私は、非常に幸運だったのかもしれないと思っています。
なぜなら、他の人がいないあの場所は、完全に独立した、狂気に満ち溢れた世界となるからです。
それも、自分も含めた世界、が。
・・・そして。
(一周目ではわかっていませんでしたが)全ての場所を回って、廊下の突き当りにある扉へ向かいます。
そういえば、最初にギャラリーの方が「最後はこの場所に戻ってくる」と言っていたことを思い出し、少しほっとしたことを覚えています。
よし、では。
この世界をちゃんと終わらせよう。
そう思い、私はドアノブに手をかけました。
ゆめ
みるゆめ
えしみるゆめ
くりかえしみるゆめ
そこは、最初の部屋。
この世界の始まった場所。
もう初めて来た時と同じように、「好きなやつ」なんて気持ちではいられない。
ずっと狂っていて、おぞましくて、でも惹きつけられてしまうなにか。
この空間はそうであったのだと、私は理解しました。
◇感想
まず、面白かったというよりはこころを動かされたといった感じでした。
そこにいない、少なくとも人間の五感とか科学とかを基準にした場合「いないと定義づけられるもの」の存在を感じるというところが本個展の趣旨なのかなと思います。
それはどちらかというと、エンターテインメントというよりか、新しい感覚や思考領域を掘り起こすという表現の方が正しいのかな、と考えます。現代アートってもともとその側面があるように思う。
「掘り起こす」と表現したのは、いないものをいるとする感覚って子供のときとかすごく鋭敏だったよな、という記憶が理由です。
テクノロジーや教育、果ては宗教観や倫理観まで既定のものを刷り込まれていくなかで、そういった感覚は埋もれていってしまう。そこを掘り起こす。的なニュアンスと思ってもらえれば。
ちなみに私が「謎クラ(謎解きがめっちゃ好きな変態ども)におすすめ」と言ったのは、
・空間を構成する要素1つ1つに理由がある
・個展を移動する際のルールにも理由がある(形式や単なる縛りではない)
・自分がその世界の中の存在として体験できる
という理由からです。
私の周りにいる謎クラの方々は、割と上記の要素があるものが好きな感じがしましたので、あんなツイートをした次第です。
とりあえずここまで一気に書きましたが、もちろんこれで個展を網羅したなんて言う気はさらさらありません。
語ってない部屋もあれば、プログラムのこともそうですし、作者の冨安由真様のインタビュー記事(最後にリンク貼ります)についても話したい内容はけっこうあります。
最初にも申し上げましたが、良ければコメント欄に「私はこう思った!」という感じのものを残していただけますととても喜びます。アートはいろんな視点で見れるのが魅力ですよね。
また、ふわっとですが6月30日の夜当たりに、一応「くりかえしみるゆめ」に類する記事の完走記念としてツイキャスとかやれたらいいなーと画策をしています。
ライブで皆様の解釈や当ブログについての感想をお聞かせいただける機会があれば楽しいのかなーなんて考えています。
なお、今後の予定ですが、とりあえず落合陽一様の個展「山紫水明 ∽ 事事無碍 ∽ 計算機自然」については書こうと思ってます。これ最高だった。
あとはTwitterにも一部写真をあげたダニエル・アーシャムさんの個展2つについても書く予定です。
更新やライブは随時Twitterで報告してまいりますので、よろしければ下のリンクから飛べるアカウントをフォローしてくださいまし。
ではでは、長くなりましたが、ここまでお読みいただいた皆様、誠にありがとうございました。
また次の記事でお会いできることをお祈りしております。
▼今回の記事にでてきたもののリンク
・作者、冨安由真様のインタビュー(美術手帖)
「心霊」を現代美術に組み込む。「第12回shiseido art egg」 冨安由真インタビュー|美術手帖
・エドガー・アラン・ポー作「アッシャー家の崩壊」Wikiありました
・筆者Twitter